TRPGのセッションはいわば水物で、いかようにも流れる。いや、流れてしまう。
GMがどれだけ周到にシナリオを準備し、段取りを整えていても、実際のセッションに臨み、事前に思い描いた筋書き通りに進むことは、まず稀であろう。特に、物語性の強いシナリオでは、その傾向がより強いのではなかろうか。
ある程度気心が知れた常連のプレイヤーとのセッションであっても、それぞれの考え方や感じ方は時と場合によって変化するものである。それだけに、いざイベントを発生させて、PCたちに予想だにしない行動を取られて面食らうことはままある。
ましてや、コンベンションなどで初見のプレイヤーばかりであった場合、PCたちが(良くも悪くも)予想を越えた行動を示すことは、より多くあることだろう。
こうした予想と現実の差は、大半の場合はシナリオ作成時の前提として、自分の判断基準を絶対視していると、より大きくなる。
シナリオを構築する上で、多くのGMは、自分ならこう考えるだろう、こう選択するだろう、こう進めるだろう、といった具合にPCたちの行動を仮定し、検証しながら内容を詰めていくのが、まず普通の方式だと思う。
だがその際に、自分の判断基準――考えや感性を重視してしまうと、シナリオの幅を狭めることになる。予想する幅が、自分の基準である以上、自分の予想を超えた他の考えなどは埒外となってしまう。特に既成の物語(小説、映画、ゲームなど)を範にとってシナリオを作ると、その傾向が強くなる。
TRPGと、他の物語(小説、映画、ゲームなど)との決定的な差異は、複数の人間が結末への収束に関与できる(できてしまう)という点である。
小説なり映画といった一般的な物語としての作品は、基本的に筆者なり監督といった統括者がひとりで導入から展開、結末までの道筋を考え、それに基づいてひとつの物語を表現する。
だが、TRPGにおいて、セッションの原型となるシナリオはGMが設定するものの、PCという主要登場人物は別の人間――プレイヤーたちがそれぞれ担当し、GMとの協業でセッションを進めてゆく。当然ながら、GMとプレイヤーは別人格であり、それぞれの行動原理は異なり、行動規範も異なる。いくら熟達したGMであろうと、プレイヤー全員の考えや行動を読みきり、それを事前にシナリオに織り込むことは、まず不可能であろう。ならばGMには、あらかじめ用意したシナリオを、セッションの現実に合わせる技量が必要とされるのではなかろうか。
シナリオ上におけるGMの期待(こう進めて欲しい)と、セッションに臨んだプレイヤーの要望(こう進めたい)は、よくかち合う。しかし、互いがその主張を戦わせても、良い結果にはならない。だからこそ、GMは用意したシナリオをセッションに即して変化させ、プレイヤーはPCをシナリオに合わせる、といったように、それぞれ柔軟さと適応性を求められるだろう。そして、双方の考えや意見をすり合わせ、落としどころを模索することが、最良の結末に結びつくと思うのである。
個人的には、最高のシナリオではなく、最良のセッションを目指したい。
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『図解「武器」の日本史』戸部民夫(ベスト新書)
日本で使用された武器、防具をほとんど網羅し、豊富な図説で解説した紹介書である。
『平家物語』や『太平記』といった軍記物、『忠臣蔵』などの時代小説などに出てくる武器、防具の大半は取り上げられているので、そういった小道具に興味のある人には手軽な入門書となるだろう。
もっとも、内容については、同じ著者による『武器と防具<日本編>』(新紀元社)と、ほぼ同じであった。だが、新書サイズになっているだけに、読みやすくはなっている。
あらためて見るに、日本の武具はやはり魅力的である。
しかし、TRPGにおいて刀をはじめとした日本の武具は、和風テイストを出すための珍品やら特殊なマジックアイテム扱いされることが多い。それが残念でならない。
『天羅万象』やら『比叡山炎上』やら、中世日本をモチーフにしたシステムも数点あるにはあるが、デフォルメされすぎて、あまり食指が伸びない。
『混沌の渦』とまでは言わないが、中世日本を舞台とした、もう少しリアル指向のシステムを、どこか出してくれんかなあ。まあ、需要は限りなくゼロに等しいだろうから、まず無理だろうけれど。