『光武帝(上)』筭本逭史(講談社文庫)
漢王朝中興の祖――いやむしろ後漢王朝創業の祖というべきか――光武帝劉秀の一代記小説。
日本ではあまり馴染みのない皇帝だが、よく日本史の教科書に載っている福岡の志賀島で1784年に発見された「漢委奴國王」と記された金印を下賜した中国皇帝が、この光武帝である。
漢帝国の復興を標榜した者は、史上数多くいるが、成功したのはこの光武帝ただひとりのみ。また、一代で登極した創業の覇王であるだけでなく、その後14代195年間も続く後漢王朝の基礎を築いた守成の名君でもある。
特筆すべきは、即位後もその覇業を支えた功臣(有名な雲台二十八将を含む)を誰一人として粛清していないことだろう。創業の皇帝としては、異例と言える(他の王朝創業の皇帝は、ほぼ誰もが少なくない数の功臣たちを粛清している)。この一事のみ取っても、光武帝は最高の名君足りえる。
また、画期的な奴隷開放政策も実施しており、その功績はもっと評価されてしかるべきだろう。
なによりも、その人となりがユニークすぎる。
若い頃から白面の書生、慎重居士で知られ、野良仕事に精を出す農家の兄ちゃんだった。その劉秀が28歳で兵を挙げると、その人となりを知る誰もが耳を疑ったという。
にも拘らず、昆陽の戦においては、寡兵三千で百万(その実、戦闘員は40万強)の新軍を撃破するという神掛かった戦上手。王莽が自滅し新王朝が倒れても、群雄割拠の状態をほぼ全て斬り従えた、まさに実力派の皇帝である。
また幼馴染の美女、陰麗華を長く想い続け、皇后にするという冗談みたいなロマンスも付いてくる。
配下の文武官には、粛清を免れたためにえらく優秀な人材が揃い、その治世を助けた。さらに跡を継いだ息子、明帝劉荘や孫の章帝も名君として名を残している。つまり、後継者にも恵まれた訳である。
光武帝、おそるべし。
本巻では、周代の回帰を謳う王莽治下の首都長安に、秀才(太学進学者)として劉秀が上京するところから物語が始まる。
儒教原理主義者である王莽の遥か古代の儒法に照らし合わせた政治が、今代でうまく機能するはずもなく、世の中は混迷を深めてゆく。やがて、民の不満は高まり、遂に呂母の乱(赤眉の乱)が勃発する。戦乱のなか、劉秀も兄たちとともにその渦中へ身を投ずることとなる。
中国史というと、とかく『三国志(演義)』のみが頻繁に題材に上げられるが、それ以外の時代も面白い事件は色々あるし、魅力的な人物もたくさんいる。もうすこし、取り上げられる機会が増えればよいのだが。