ローマ人の物語31 終わりの始まり(下)』塩野七生新潮文庫
五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝の後嗣コモドゥス帝が暗殺者の手によって斃れた後、ローマ担当長官ペルティナクスが近衛軍団長官レトーによって擁立され、帝位に上る。
実務経験豊富なペルティナクス帝は着任早々に財政の見直しを図る。だが改革の前に功労者に報いることを後回しにしたのが、命取りになる。
近衛軍団長官レトーは、利権の多いエジプト長官を望んだが、元老院に配慮したペルティナクス帝はこれを認めなかった。小物は利をもって遇さねば恨みを抱く。レトーは配下の近衛軍団を扇動し、遂にペルティナクス帝を弑逆する。
レトーが次に擁立したのはディディウス・ユリアヌスであった。
しかし、ことはそう容易には進まない。近衛兵団に擁立された皇帝を認めずに、辺境の軍団がそれぞれ独自の皇帝を擁立する動きを見せたからである。
内戦期の始まりである。
同国人たちが武器を向け合い、血を流し合う内戦を制したのは、北アフリカ出身のセプティミウス・セヴェルスだった。
軍人がその実力たる武力によって帝位に登る。これが、その後のローマ帝国のカラーを決定付けることとなる。
セヴェルスは、その出身母体である軍団兵の地位と待遇とを向上させた。おそらくは、帝国の安全保障を重視するがための軍団強化策としての施策だったのであろう。しかし、善意は必ずしも良い効果をもたらすとは限らない。
皮肉にもこの軍団兵の待遇改善が、ローマ帝国の軍事政権化の嚆矢となる。兵士がミリタリーであることに安住し、シビリアンへと転身することをしなくなったためである。軍人は軍団に留まり続けることによって、一般社会から隔たることとなり、やがて孤立化していく。孤立化した軍人は、自らの組織を守り、強化することだけに専念し始める。武力をもった組織の暴走は、止めることが至難である。
歴史は、人々の為した事跡の結果を、残酷なまでに後世に遺し伝える。
あるいは著者の言うように、“人類の歴史は、悪意とも言える冷徹さで実行した場合の成功例と、善意あふれる動機ではじめられた失敗例で、おおかた埋まっている”のかもしれない。
晩年、ブリタニア遠征の途にて前線に近いエブラクム(現ヨーク)でセヴェルスは病に倒れる。戦役途中の戦場で死を迎える皇帝はマルクス・アウレリウスに続いて二人目となる。
そして死後の展開も、この両皇帝は似たようになる。父の後を継ぎ皇帝となったカラカラは、軍を撤収する。また、共同統治者である弟ゲタを粛清する。家庭を大事にし、その和を願い、努力を惜しまなかったマルクス・アウレリウスとセプティミウス・セヴェルスだったが、結果は同じことになった。
この後、ローマ帝国は後世の歴史家たちの言う「三世紀の危機」に突入していく。