下流志向――学ばない子どもたち、働かない若者たち』内田樹講談社
昨今の格差問題の原因を、独自の視点から読み解いた論考。
本論において、著者は「自らの選択によって学習を拒み、望んで階層下降していく若者」像を取り上げ、それが格差発生の原因であると解説している。
しかし、その論拠はもっぱら著者の体験と読書から導かれた主観なので、統計的な論考ではない。それでも、かなり頷ける説得力が有る。
人間は様々なことを学習し、成長してゆく。高度な社会化を望むのであれば、歳相応に立場も変わり、それに相応しい努力を継続的に求められる。それを拒否するのならば、確かに単純労働しか選択の余地は無くなる。そして賃金は低下し、生活水準は下降するだろう。
そうした学習や労働に価値を見出せない若者の原点を、著者は家庭に求める。家庭における生育の過程で、“生産”主体ではなく“消費”主体として、自我を確立してしまったのが原因ではないか、と推測している。つまり、消費者として全てのモノを選別しているというのである。
授業を学校の提供する商品として見做し、それを値切って購入する。その値切りの動作が、学習からの逃避であるというのだ。授業に無関心なフリをして、少しでも“安く”学習を済まそうとする。
その取引に用いられる貨幣を“不快”とする観点は、実に面白い。その“不快”貨幣の出自もまた家庭と推察している(家族構成員が“不快”表現で家産形成の貢献度を競っているという仮説)。
まあ確かに上昇を目指すも、下降を目指すのも個人の自由=権利だろう。だが、社会参与している以上、社会貢献の義務がある。社会を運営する各種インフラの利益を享受しているのならば、その維持にも力を貸すべきだ。
もっとも、そのロジックが理解できる知性と参与する意思があるのならば、学習や労働から逃避することは考えられない。
おそらく、日本の階層格差は、今後より拡大していくだろう。