『悪人列伝 近世篇』海音寺潮五郎(文春文庫)
人はともあれ、われのみは栄えむ
『応仁記』と『応仁後記』に書き遺された当時の人々の気風であるという。どこかで聞いたような文句である。
筆者はこの時代、室町時代前後を「日本史空前の無道徳時代」と評している。また、「この時代に匹敵する時代をもとめるなら、現代がそれかもしれない」とさえ憂いている。
本書の初出は、76年1月である。現在は、どうであろうか。


閑話休題。時代は室町中期から江戸初期に下りてくる。本巻では、日野富子松永久秀陶晴賢松平忠直徳川綱吉の6人の“悪人”を挙げている。
さて、時代が下るにつれ、人間の行動様式は現代に近づいてくる。本書で挙げられた6人それぞれの悪行、スケールの大小を取り払って本質だけを切り抜けば、いやに身近に転がる資質に似通って見える。人間とは、いつの時代も愚かなものだ。
その時代にあって、その境遇にあったならば、自分は“悪人”にならなかっただろうか。自問して、間髪置かずに肯けるかといえば、少しためらう小人な自分が居る。
善性と悪性は、紙一重の裏表に過ぎない。日々心せねば、容易く“悪”に呑まれる。