『ドキュメント裁判官 人が人をどう裁くのか』読売新聞社会部(中公新書
という訳で、探し出してみた。読売新聞社会部著の“司法三部作”の中巻に当たるのが本書である。
「判決と国民感情に隔たりがある」「裁判に信頼が置けない」という市井の声や、現職裁判官による不祥事を受け、司法制度改革の一環として09年より裁判員制度が発足する。
しかし、我々は“裁判”という制度について、その仕組みをよく理解しているだろうか?
多くの場合、我々は報道を通じて事件の概要を知り、また報道を介して裁判の判決を知る。つまるところ、マスコミというファクターを通じてろ過された情報しか知りえていないということである。
本書では多くの取材を経て、あまり知られることのない裁判の内情と裁判官の実像に肉薄している。


前の『検察官』を読んでいても感じたことだが、やはり時勢にそぐわない法を基準にした裁判では、どうあっても世論とのギャップは避けられないだろう、と感じる。裁判官は中立性を保つために、法と前例を比較して、刑の軽重を量る。基準となる法が、その刑を規程している以上、世論の処罰感情と釣り合わないのは、ある意味仕方の無いことだろう。
それでも、身内が不条理な事件によって損害を被れば、誰だって怒り、悲しむ。そしてその感情の矛先は加害者に、引いてはその加害者に相応の刑罰を負わせない裁判官へと向かうだろう。
裁判所の役割は、あくまでも司法である。だが法の番人とはいえ、裁判官はもっと社会に向けて、意思を発信すべきと思う。
法の改正の任を担当するのは立法の仕事である。その立法を司る機関は、国会である。国会は国民に信任を受けた議員によって成り立つ。つまるところ、法改正に影響力を行使できるのは、国民なのだから。
とはいえ、国民にそこまで意識させることは、相当に難しいことなのだが……。