国立歴史民俗博物館
久しぶりに行ってきた。今回の主目的は、企画展示の「歴史のなかの鉄炮伝来−種子島から戊辰戦争まで−」。
最近、定説である種子島への鉄砲伝来(1543)以前にも、様々な経路から鉄砲が伝来していたのではないかという説が出回っている。実際、鉄砲を持参して種子島に来たというポルトガル人も、当時倭寇と呼ばれた海賊のジャンク船に同乗していたという説が有力である。倭寇は、日本海のみならず東アジアの広い範囲を行動域にしており、彼らがヨーロッパ伝来の火縄銃を武装に取り入れていた可能性は高く、それが日本各地に寄航した際にあちらこちらから伝来した可能性も高い。つまり、種子島伝来は記録上に伝わる最初の伝来であったという説である。種子島以降の鉄砲普及の速度を考えれば、あながち間違ってはいない気もする。
それはさて措き、京成佐倉駅に到着し、ゆっくりと博物館に向かう。歴博佐倉城址にある。小高い丘を登って博物館を目指す。
エントランスに立て看板が置いてあるのが目に入る。「鉄砲実演会場はあちら」
ん? 立ち止まってよく見ると、今日午前11:00に1回、午後15:30に1回の2回ほど、公開実射があるらしい。ちょうど午前の部が終わった頃に着いてしまったようだが、午後の部には十分間に合う。こいつを拝んで帰ることにしよう。
まずは、常設展示からなめる。第三展示室はリニューアル中で閉鎖されていたが、興味のある古代〜中世までが観れたので良しとする。
第四展示室の「日本人の民俗世界」は、特に興味深い。山中他界や海洋他界の概念については、少し掘り下げればTRPGシナリオのネタになる(「クトゥルフ」や「ダブルクロス」あたりの現代怪奇モノ向け)。
満を持して、企画展示のコーナーに移る。さすがにここは人が多い。
伝来初期の南蛮様式や中国などの鳥銃様式を真似た銃から、国産の銃、江戸末期に外圧に備えて改良された銃、維新前後に輸入された洋式銃などなど、さまざまな実物が展示されている。
特に維新前後に幕府や雄藩によって輸入された数々の洋式銃は見ものである。丁度、時期的にアメリ南北戦争と重なり、銃の機構が飛躍的に進化していく過程が面白いぐらいに辿れるのである。具体的には、前装式の滑腔銃身マスケット銃から後装式の旋条銃身ライフル銃に移行していく過程である。それぞれの銃で使用された弾丸の比較図も展示されており、興味深い。
頭が満足したところで腹が減ったので、遅い昼飯を喰う。
鉄砲実演があるので外に出るわけにもいかないので、館内のレストランに入ることにする。メニューを見て吹いたのが、“古代米”カレーと“古代米”ハヤシライス。そのネーミングに惚れたので、ハヤシライスを注文する。出てきたのは、いわゆる“黒米”のライスであった。味は、まあ普通。
腹も満足し、時間も15時を回ったので、少し早いが実演会場に向かう。予想していたよりも多くの見物客が既に陣取りを始めている。慌てて自分も場所を確保して待つことにする。
6名の射手がそれぞれの銃をセッティングし始めている。礼射のためか、羽織袴姿で襷掛けの装束である。その格好で、火縄に百円ライターで火をつけているのが、少し可笑しい。
やがて、時間となり実演が始まる。まずは博物館の教授の挨拶。続いて、射手たち「国友鉄砲研究会」の会長の挨拶と続く。日本式の前置きが終わって、ようやく会長自らの実射である。
予想以上に射撃音が大きい。子供がびっくりして泣き出すくらいである。
この実射では、銃刀法に触れるので実弾は装填していない。紙の模擬弾を装填し、炸薬も減らしてあると言うが、それでもかなり派手に音が響き渡る。
6人の射手による一斉射撃も行なわれたが、腹に響く轟音であった。
その後、六発を続けざまに装填し速射する早撃ちが披露される。早合を使用し、熟練の射手ならば1分間に6発の射撃が可能だという。かるかによる詰め込みを省略していたので、実戦では口径よりやや小さめの弾を使用したのであろう。体感では、12〜15秒に1射くらいであったように思える。
最後に、抱え大筒による実射が行なわれた。さすがに大型銃なだけに発射音もデカイ。有効射程内なら、おそらく二枚胴の当世具足も軽く貫通したであろう。
良い体験をさせてもらった。実入りの良い一日だった。