ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち[2]』塩野七生新潮文庫
19世紀の歴史家モムゼンが「ローマが持った最良の皇帝のひとり」と評した皇帝ティベリウス亡き後、元老院ローマ市民、ライン河防衛の8個軍団兵など、あらゆる階層から喝采を持って迎えられたのが、当時24歳の若き青年カリグラであった。
父母ともに神君アウグストゥスの血統を継いだ、若き皇帝はしかし政略とはいかなるものかを知りえるキャリアを積まずに至高の座に上ってしまった。それが、カリグラの悲劇であったのだろう。
若さは活力であり、物事を進める上での原動力となることは間違いない。ただし、正しい現状把握をする冷徹な観察と冷静な思考に裏付けられた判断には、長く培った経験が必要となる。
いかに神君アウグストゥスの血を引いていようと、カリグラにはそれが欠けていた。
人気取り政策に狂奔し、帝国の財政を著しく弱体化させ、国家間のバランス感覚というデリケートな判断を要される外交についても、失点を重ねる。
結果、その治世は4年を待たずして、カリグラ暗殺という結末を迎えることとなる。
ローマ帝政という政治体制の、初めての失敗である。
組織の運営には、その組織の方向を定める目的とそのための手段の決定、それを遂行させる意欲の持続が必須である。
皇帝に与えられた仕事とは「パクス・ローマ」の維持である。残念ながら、カリグラにはそれが見えていなかったのであろう。