tukasabeのTRPG日記

とあるTRPG GMの日常的な記録

『豊かさとは何か』暉峻淑子(岩波新書
奥付を見ると第一刷89年9月。15年前ということもあって、今とは微妙に状況は違うものの本書で提起した日本の享受している「豊かさ」の歪みに対する問題点は、ほぼ正鵠を射ていると思う。もっとも、過度な西ドイツ(当時)やフィンランドなどの北欧諸国の福祉政策礼賛はどうかと思うが。
いずれにせよ、日本が資本主義と自由主義を本来それを成立させた欧米諸国のソレとは、ずれた認識で輸入し、それを導入してしまったことが問題点であるという認識には同意する。
我々は権利と義務の相関を正しく理解していない。義務を果たさねば、権利は行使できない。政治に期待を掛けられない以上、自らをして改めるより他に方法はないのかもしれない。要は個々の認識と行動によって歪みを正すしかない。ということだ。

気付けばもう明日でやんの。まさしく月日の経つこと矢の如し。
今月の月例会は、連休を利用して土日の2日連続セッションとなる。現WIZARDRYキャンペーンも約1年を経てようやくストーリーの折り返しを迎える。ここから先はジェットコースター・ドラマも真っ青の急転直下の展開となる。これは柄佐部GM術のセオリーである。
俺のGM術としては、1話完結型のシナリオを作ることは稀だ。それは例えキャンペーン・シナリオ形式を取っていても同じである。理由は簡単で、頼まれ仕事に終始する冒険が嫌いだから。
基本的に1話完結のシナリオはミッション型となる。つまり任務を請負いそれを解決する。つまりは、街の便利屋さんですね。それが果たして「冒険」なのか? 俺はその分かり易く便利な方式が嫌いだ。
謎がある。だからそれを手探りで探す。解き明かす。それが冒険だと勝手に思っている。
旅立ちの始まり、きっかけは依頼の形式を取っていても構わない。だが、それに終始する主体性のない旅は嫌いだ。かつての大航海時代、そしてそれに続く大冒険時代において、冒険家たちはスポンサーにプレゼンし、その依頼によって冒険を行なったが、それはきっかけに過ぎず、本質としてはまだ見ぬ謎を解き明かすための探検だった。
昨今のTRPG世界は、仕組みとして冒険者を肯定する作品が多いが、俺はそれが好きではない。あくまでも冒険者ははぐれ者であり、社会秩序の枠に収まりきれなかったアウトローであって欲しい。