TRPGサークルを解散してからはや4ヶ月が経った。時の流れは、早いものだ。
元々、それぞれのメンバーの志向する方向性は一致していなかった。それでも、当時企画していたキャンペーン・シナリオを実施するために集めたので、そのシナリオ終了までは、指向性を統一できていた。後に、とあるメンバーからも言われたが、シナリオ終了時点でこのサークルの実体は、ともに終わっていたのだろう。
あとは、ただ何となく定例的に集まり、適当にプレイするだけのセッションが約半年続いた。何が好きだの、嫌いだの好き放題いうメンバーを何とか調整して、セッションを開いてはみたが、あまり楽しくはなかった。
参加者それぞれが志向するシステム、シナリオの傾向が異なるのだから、軸足は定まらず、サークルとしての求心力は維持できるはずも無い。
だから、解散したのである。


いつぞやか、セッション主催者はホストとして参加者をゲストとして扱い、楽しませるために手を尽くすべきだ、というような主旨のことを言われたことがある。
セッション主催者としての私は、特に手数料を取るわけでもなく、会場を手配し、メンバーを集めてセッションを段取りしていた。これ以上、何をどのように奉仕すれば良かったのだろうか。
セッションを主催するのはそれなりに手間が掛かるが、そのモチベーションの根底に、私の場合はまず自分が楽しむことを置いている。
自他の都合をすり合わせなくては、複数の人間の要望に折り合いをつけることは難しい。このすり合わせは、双方の譲歩なくては成り立たない。彼は、主催者は一方的に譲歩して参加者に従え、とでも言うつもりだったのだろうか。
セッション前の段取りなどの面倒なことは他人に依存して、セッション当日だけ空手で参加して、自分だけ独り楽しもうとする自侭なメンバーは、少なくても私には要らない。


学生と異なり、遊ぶ時間を多く取れない社会人にとって、まとまった時間を必要とするTRPGで頻繁に遊ぶことは、難しい。
頻繁に遊べないなら、手間暇かけて成立させたセッションを出来る限り楽しみたい。
教訓を得た私は以後、セッションのメンバー募集に際して、システムを指定し、シナリオ概要を公開し、予めプレイの指向性を定めてからセッションを開くことにした。例え集まったメンバーが少人数でも、よほど安定したプレイが楽しめると思うからである。
もう二度と、あのように指向性の定まらないセッションは開かない。