『家族ペット――ダンナよりもペットが大切!?』山田昌弘(文春文庫)
まず最初に明言しておくが、私は犬が好きだ。
かつて実家にいた頃、二回ほど犬を飼っていた。最初は柴犬、次はコリーだった。いずれも、私が餌やりと散歩を担当し、主に世話していた。二匹とも天寿を全うして、今は居ない。
しかし、当時も今も、その犬たちを家族の一員と思ったことは、ついぞ無い。かなり可愛がっていたが、家畜に過ぎないペットを家族と同義化するということは、とても考えられない。
だが、本書を読む限り、現代日本ではその家畜に過ぎないペットを“家族”と同義化する人が増えているらしい。正直、かなり驚いた。


冷静に分析すれば、現代日本において“家族”の意義は、従来のそれから変容しつつあるように見える。血族としての“家族”から、一緒に居住する感情対象としての“家族”へと。
著者はそれを「主観的家族」と定義する。主観による感情対象を家族として認識するという考え方だ。
例えば、同棲している恋人は、本来の定義では婚姻関係は無いために“家族”ではないが、主観的な感情においては“家族”足りえる。
同様にペットも人間ではないが、主観的な感情において「主観的家族」足りえるということだ。
いずれも自己の都合による感情投射によって“家族”を構築するということになる。
前者は対等な人間同士の関係なので、いずれ変化する可能性が有るから良いだろう。だが、後者の相手は物言わぬ動物である。一方的な感情の投射が、どのようなことをもたらすか。昨今の異常なペット産業の隆盛が、その顛末を物語っている。
著者はこの“家族”化するペットに対して、現代社会を救う一種の癒しであると肯定的な見方をしているが、私にはその現実逃避的な思考が、どうにも不健全に感じられてならない。
複雑な人間関係に倦んで、物言わぬ愛玩動物をいじることで幸せを感じる人間の構成する社会が、果たして健全な社会と言えるのであろうか。
読了後、なんとも表現し難い、後味の悪さを感じた。