『「準」ひきこ森―人はなぜ孤立してしまうのか?』樋口康彦(講談社+α新書
大学には真面目に通い、学業成績にも問題が無い。しかし、学校と家を往復しているだけで、家族以外の他者との交流を持たない/持てない、社会性、社交性に乏しい人物像。本書では、そのような人物を「準ひきこもり」と定義する。
大学時代においては、そのようなライフスタイルでも通用する。しかし、いざ卒業を控え、就職活動に臨むと問題が露呈する。
他者との交流によって社会性や社交性を鍛えていないために組織に適応できず、コミュニケーション不全を起こして、ドロップアウトするというのである。
確かに、本書で示される「準ひきこもり」の定義は非常に主観的かつ大味で、厳密さには欠ける。しかし、本質的な着眼点はかなり的を射ているのではなかろうか。つまり、生育の過程で社会性、社交性の構築から意図的に遠ざかり、孤立化を望んできた若者が増えている、という事実である。
あらゆる業種においてサービス産業化が求められている現代において、本書が指摘するようにコミュニケーション能力に劣る「準ひきこもり」が職を得る、あるいは維持するのが困難であるというのは、限りなく真実に近いのではなかろうか。
実際、私も例示されている「準ひきこもり」傾向の強い部下が配属され、苦労した覚えがある。彼は配属後三ヶ月で、非常に後味の悪い辞め方をした。彼は社内において、自身の居場所を自分で作ることが出来なかった。
人間は社会的な生物である。社会に認められ、自身の居場所を築くのは、自分の能力に拠る。もっとも基本的な人間関係の構築が行なえないというのは、非常に大きな問題と思う。
この「準ひきこもり」を救えるのは、おそらく本人の自覚と自助努力のみだろう。本質的に人間は、他人の指摘や働きかけでは変化しないからだ。
非常に乱暴で独善的な論旨だが、それでも本書がひとりでも多くの「準ひきこもり」の自覚を促せれば良い、と思う。