クトゥルフ神話TRPG』サンディ・ピーターセン/中山てい子(エンターブレイン
先日、十数年ぶりに本システムをプレイする機会に恵まれた。そのセッションが楽しかったことと、もともと興味を持っていたので、ようやく購入に踏み切った次第である。
しかし、実際に遊ぶとなると、幾つか問題が持ち上がるであろうことが予想される。
自分が初めてこのシステムに接した十数年前と異なり、現在は「クトゥルフ」というガジェットに対する知識がずいぶんと普及した。同時に、本システムの認知度も高まり、独特の“発狂”に至る仕組みも受け容れられるようになったようだ。
しかし、それによって本システムの主眼ともいえる“恐怖”の演出は難しくなったように思えるのだ。
先日のセッションでも、参加プレイヤーのひとりがSAN値(正気度)の低下を敢えて望み、馬鹿のひとつ覚えのように延々と「発狂」を口走っているのを見て、とても興醒めした。
確かに一連のクトゥルフ系作品の主題は、神秘の探求者たちが、その探索の過程において人知を超えた異形と遭遇し、やがて狂気の淵へと堕ちていくというものである。それらを原作とするTRPG版においても、その流れを踏襲している。狂気に蝕まれながらも、事件の深奥を探る知的探求が、本システムの魅力と思うが、最初から狂気を演出することだけ目的に置くのでは、まさに本末転倒である。
また、プレイヤー知識の深耕化によって、ホラーの源泉である“未知ゆえの恐怖”という要素が薄くなっているのも、大きな問題となるだろう。
シナリオ上で設定した事件の周辺状況や舞台の状況描写に登場する各種キーワードから、事件の真相を類推されては、ホラーの面白さも半減する(一度行ったお化け屋敷に二度行くようなものだろう)。新たなホラーのジャンルとして創作された「クトゥルフ」も、いまや古典と成りつつある。
もし、自分が本システムを使ってシナリオを作るのであれば、たぶん「クトゥルフ神話」に登場する神々(とそのしもべたち)は使わないだろう。手垢の付いたそれ以前のゴシックホラーに対抗して、新世代ホラーのガジェットとして創作された「クトゥルフ」はいまやメジャー化し、それゆえに陳腐化しつつある。しかし、より古い古典ホラーのガジェットはまだまだ未開発な状態で手付かずのまま残っているのではなかろうか。『雨月物語』『怪談』『遠野物語』などなど、まだまだ深耕できるホラーの素材は、日本のものだけでも山ほどある。これらを使わない手は無いだろう(むしろ、マイナーゆえに“未知ゆえの恐怖”足りえる)。
秋の夜長を、“恐怖”の再製にじっくり費やすのも、悪くない。