最近、他のメンバーのGM担当するセッション下で、プレイヤー参加することが多い。
やはり、各GMごとにシナリオ構築や、それに基づくセッション運営の方式は異なり、プレイヤーの立場としてセッションに臨むと、色々と考えさせられる。
TRPGのシナリオは、当然GMのセッション運営の考え方に沿って作成される。
大きく分けると大体以下の三つに分類できそうだ。


1)一本道シナリオ(シングルルート方式)
最初に目的(目標、任務など)とその経路(方策、手段など)を提示され、それを達成(到達、解決など)することによって、シナリオが完了する。
例:ある村落が小鬼属に襲われ被害を被っている。→小鬼属の討伐を依頼される。→討伐に成功。→村民の感謝と報酬を受ける。→完了


2)分岐型シナリオ(マルチルート方式)
最初に目的(目標、任務など)を提示され、その経路(方策、手段など)を独自に模索し、どれかを決定して達成(到達、解決など)することによってシナリオが完了する。
例:ある村落が小鬼属に襲われて被害を被っている。→それは大変だ。どうしよう。→調べると、何も小鬼属だけが悪いわけではなさそうだ。→面倒だから小鬼属を討伐しよう/何とか共存共生できんか/小鬼属を移住させられんかなあ/などなど。→村の損害は無くなる。→完了


3)複数並立シナリオ(マルチシナリオ方式)
複数のシナリオフックが存在し、どれを選択しても同程度のシナリオが発生する。当然、全てのシナリオには繋がりがあり、どのルートを選択しても、最終的にひとつの話として成立する。
例:ある村落が小鬼属に襲われて被害を被っている。→同時期に他の村落でも似たような事件が起きている。→何かありそうだ。→よくよく調べると、この地方の若き女領主は後見人がいないようだ。→ひょっとして、何かの陰謀?→ひとまず何から片付けようか。→依頼の出ている村だけ救う/対処療法で事件の発生した村々を救っていく/陰謀の根源を断つ/などなど。→完了。


後者になればなるほど、シナリオとしては複雑度が増し、もちろん難度も高くなる。
ちなみに、分岐選択の結果、シナリオの本筋から外れて終わるというオチは考慮外とする。それを称して「マルチエンド」なんぞとのたまわった自称“熟練”GMがウチの門戸を叩いたことがあったが、それは一本道シナリオの失敗にしか過ぎない。PCたちをGM推奨ルートに誘導もできない未熟なGMごときが、マルチルート、マルチエンドを謳うのは百年早い。

それはまあさて措くとして、TRPGの特性を活かすことができる方式は、当然ながら後者の方となるだろう。
だが、後者になればなるほど、GMのみならずプレイヤーの腕も問われることとなる。なぜか?
答えは、自由度が高くなるからである。
なぜ、自由度が高くなると問題なのか。それは、その自由度ゆえに取れる行動の選択幅が広がるために、プレイヤー間での意見対立が起きる可能性が高くなるからである。
特に、コンベンションなどでメンバーが初見の組み合わせで、メンバー間の志向性が一致しない場合によく起こりえる。
ここで、メンバー間の意見統合、選択一致ができないと、そのセッションは上手くまとまらなくなる。
意見のすり合わせの過程で、システムに対する習熟度、TRPGそのものに対する場数、そして何よりプレイヤーそのもののコミュニケーション能力(説得力と納得力、つまり意見折衝の技量)が問われてくるからだ。
TRPG最大の特性である、バラエティに富んだ複雑なシナリオ及びセッションは、メンバーを選ぶ。
逆に言えば、メンバーを問わないシナリオ及びセッションを行なうつもりならば、なるべく不確定要素(どう転ぶか分からない分岐)はあらかじめ消しておいた方が無難といえるだろう。
また、後者の方式の難点として、セッション時間をえらく消費することも上げられるだろう。分岐が増えれば、それだけ選択は慎重となりプレイヤーは悩む。多くのメンバーが悩めば、意見調整に時間が掛かるのは言うまでも無い。
シンプルな一本道シナリオはGMにとっては工夫のし甲斐が無く、あまり楽しいものではない。だが、セッション運営の管理もGMの大切な仕事である。TPOを弁え、シナリオを作り分け、セッションに臨めるようになってこそ、“熟練”のGMと呼ぶに相応しい。
プレイヤーに楽しんでもらい、かつ自分も楽しむ。それもセッション予定時間内に収まるように。
割と大変だが、それでもGMやるのは楽しい。そう思う。