TRPGにおいて、PCは優秀で有能な人物に設定されることが多い。
少なくてもGMが用意したシナリオで起きた事件を解決しうる能力を備えている(そうでもなければ、事件が解決できないシナリオとなる。しかし、そんなプレイは普通やらないであろう)。
多くのシステムにおいて、程度の差はあれ、PCはその世界における一般人(モブ)より優れた資質や才能(パラメータ)、知識や技術(スキル)を付与される。特に最近のTRPGシステムのデザイン傾向としては、いわば物語における主人公級の英雄や超人となって、セッション中に活躍できることを前提にしているので、最初期から高い能力をもつことも多い。
しかし、誤認してはならないのは、PCがいくら高い能力をもっていても、それを活用してセッション中の行動に反映できなければ、PCとしての性能を発揮できていない、ということである。
逆に言えば、低い能力であろうとセッション中の行動によって、シナリオ遂行に役立っていれば、そのPCの性能は高いと評価できるだろう。
そもそも、PCを操作するプレイヤーの技量やシナリオ遂行に対する意欲によって、そのPCの活躍度合いは大きく異なる。つまり、同じパラメータをもったPCでも、扱うプレイヤーの技量、意欲によって、異なる性能を示すということである(もっとも実際のセッションにおいては、判定に用いるダイスなどの乱数によって、運という要素も加わるので、そう簡単に断ずることはできないが)。
とすると、TRPGにおけるPCの性能とは、単なるパラメータ上の数値では評価できない、と結論付けられそうだ。PCの性能を活かすも殺すもプレイヤー次第、ということである。
極論すれば、パラメータを成長させる、スキルを習得する、装備品を整えるなどしてPCを強化、育成しても、それらを活用して、PC本来のタスクであるシナリオ遂行に活躍できなければ、それはプレイヤーの自己満足に過ぎず、結果としてセッション進行になんら寄与しない意味のないことだといえよう。
もちろん、シナリオ遂行だけがTRPGの楽しみではない。PCに付与した個性を演じたり、PCの育成に頭を悩ませる、といったキャラクタープレイ(キャラクター演技)もTRPGの楽しみの要素である。だが、それらはシナリオ遂行の余技、おまけに過ぎない(そうでなければ、GMがわざわざ手間ひま掛けてシナリオを用意する意味がない)。


今更ではあるが、改めてTRPGが何の略語であるか、思い返してみる。
Table talk Role Playing Game――すなわち、卓上会話による役割演技ゲーム、となる。
Role Playとは、今では企業の人材教育の場などでも利用されているが、役割を演じることによって、その立場を理解し考察するための手法である。その意義は、単にキャラクターになりきって演技するという演劇的なことでは、ない。
セッションにおいて、キャラクターをどう演じるかを考える前に、自分のPCがどういう役割を担うのかを考えてみることが重要である。自PCには何ができて、その上で何をすべきか。よほどの初心者でなければ、セッションが始まればすぐに分かることだろう。
せっかく、システムがPCを優秀に設定してくれているのだから、そのPCを上手く使いこなして活躍させてやりたいものである。