TRPGセッションにおけるキャラクタープレイは、楽しい。
現実とは違う幻想世界の、自分とは違った個性を演じることは、いわば変身願望を満たすゴッコ遊びであり、特にTRPGでは欲しいステータス(身分、クラス)やパラメータ(数値)をデータ化した具体的なキャラクターを作ることが可能で、概ね理想に沿ったキャラクターとして振舞うことができる。
また、TRPGにおけるPCは多くの場合、比較的に優秀なステータスやパラメータを付与することが可能であり、優れた存在になる――ヒーロー願望を満たすことが容易にできる。
実際のプレイにあたって、例え架空の世界の話であろうと、力の行使はとても楽しい。それが腕力であろうが、知力であろうが、技術力であろうが、卓越した力を縦横無尽に振るうことは、快楽的だ。
そこに落とし穴がある。
プレイヤー(あるいはGM)の中にはごく稀に、力の行使に味を占めて、それに惑溺するものが出始める。セッションで活躍するPCに対する愛着の余りに、プレイヤーである自分と限りなく同一視してしまい、もはやゲームプレイではなく、成りきり状態となっているといえよう。
こうなると、自分のPCに反映させた世界観にシナリオ設定が(GMならば逆にシナリオに反映させた世界観にPCたちの設定が)合わなくなると、途端にその都合に合わないものを排除しようと拒絶反応を示すようになる。曰く、自分のPCはそんなキャラクター(設定)じゃないので、〜〜なことはやらない、(GMならば、自分のシナリオ/ワールドはそういう設定ではないので、〜〜なことは認められない)とかなんとか。
こうなるともはやロールプレイ(役割演技)という本来の要素は、どこか遠くに置き去りにされてしまう。
その状況下で、そのPCはキャラクタープレイを優先して動き始める。シナリオのミッション遂行などは二の次となることが多々ある。もはや、シナリオ内容、その展開などGMの都合はお構いなしとなる(GMがその状態ならば、シナリオの展開や演出優先となり、プレイヤーの考えやPCの選択などは二の次となる)。
いずれにせよ、そういうセッションに参加すると、他のメンバーはえらくしんどい。
セッションに臨んでは、適度に自制し、常に卓のメンバーの動向や言動に注意を向けるべきだ。自分が浮いていると少しでも感じたら、冷静に軌道修正を掛けて、ゲーム上での役割に徹するくらいの分別はわきまえるべきだろう。
TRPGにおけるセッションは、自分だけが満足すれば良いものではなく、参加メンバー全員が楽しめるものがベストである。それを忘れてはならない。
キャラクターは熱く、プレイヤーは冷静に。それが理想。