最近のTRPGセッションに際して、いわゆるシーン制と呼ばれるPC個別の行動フェイズを導入するしないに関わらず、各PCごとに情報収集など自由行動の機会を設けるスタイルが多いように思える。
まあ、それはそれで良いのだが、その際にシナリオで登場したゲストNPC(ヒロイン)などに対して、暗黙的に“担当”という形で特定のPCを充てて、そのPCを中心に対応させることがままある。
特にハンドアウトを使用したシナリオでは、よりその傾向が強くなると思われる。シナリオ導入の時点で、個別にそのシナリオで用意されたゲストNPCとの関係が指定されるのだから、至極当然の流れであろう。
だが、個人的に、それはあまりよろしくないように感じられるのだ。
なぜかといえば、そのゲストNPCに関わる事件に対して、“担当”PC以外のPCたちが一線を画した“遠巻き”なプレイするようになるからである。少なくてもウチでは、そうなる場合が多い。
好意的に見れば、“担当”PCがより積極的にゲストNPCとのイベントを進める上で、邪魔にならないよう(見せ場を取らないように)に遠慮する訳だし、ある意味紳士的なプレイといえるかもしれない。
しかし、穿って見れば、“担当”PCに役割責任を押し付けて、後は知らぬ存ぜぬを通そうとする手抜きプレイと評することも可能だろう。
個人的に、できるのにやらない、というスタンスは嫌いである。
TRPGとは基本的に役割分担のゲームである。個々の請け負うPCひとりにできることは限定的で、ドラマ(漫画や映画など)の主人公のような万能的な活躍はまず行えない。
そもそもにおいて、卓を囲むメンバーの技量は必ずしも同等ではない。“担当”PCのプレイヤーが気付かない盲点だってありえるし、情報を取りこぼすことも多々あるだろう。なによりも、“担当”を任された、というプレッシャーだけで、動転して視野狭窄になる上がり症なプレイヤーも、割と多いように思うのである。いわゆる“いっぱいいっぱい”の人間にシナリオすべてを背負い込ませるのは、GMとて本位ではあるまい。できる者、やれる者が、情報収集や交渉、調査などを分担して行うのは当然と思うのだが、とかく“担当”に任せたがる人(GM、プレイヤー問わず)もまた多い。
PCが自分に関係ない人物(ゲストNPCなど)に無関心なのは構わないと思う。それぞれのキャラクター造形もあるし、前後の状況によってはPCとして、面と向かって助言することがおかしい場合もある。
しかし、プレイヤーまでもが他人事では、困るのだ。シナリオを遂行するための同志として、協力を惜しむべきではない。特に外野だからこそ、事態を冷静に観察できるという利点は見逃せないだろう(その上で的確な助言をすれば良い)。他のPCの手番だから聞いていなかった、というのは論外だ。それでは、セッションに参加して共に卓を囲んでいる意義がない。
自分のPC操作だけに留まらず、セッション全体の成功に参与する、そんなプレイを目指したいものである。