『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』浜井幸一、芹沢一也光文社新書
ここ最近、メディアを騒がせた猟奇的な少年事件や、警察の検挙率の低下などを根拠にして、日本の「安全神話」は崩壊したと言われている。地域防犯体制の必要性や、法の厳罰化などが、各地の討論で声高に叫ばれている。
果たして、本当に日本の治安は悪化したのであろうか?
本書では、統計を冷静に読み解き、昨今の『安全神話崩壊』論に対して真っ向から反論を行っている。
犯罪統計の読み方については、検挙率の低下の原因を警察の方針転換に求める。
警察は、99年10月に発生した「桶川ストーカー事件」対応の不手際によって厳しく糾弾された。以後、告訴、告発を含む相談事のを広く受け、ポスターなどの広報活動など、積極的な体制を取るようになった。それによって、事件の認知件数は増大している。
一方で、従来では民事不介入で関わらなかった、より取り扱い困難なストーカー、闇金融の取立て、夫婦間のトラブルなどの事案に関与することになり、処理能力が低下し、同時に検挙率も低下していると分析している。
実際に暴力犯罪の統計は、認知件数の増大によって上昇しているが、傷害事件による死亡被害者数は減少傾向にある。つまり、トラブルの深刻化が未然に防がれ、犯罪に至っていないことが予測される。なお、殺人事件の検挙率は、実は95%台で安定しており、ほぼ低下していない。
また、メディアで連日のように報道され「凶悪化」と「低年齢化」を枕詞に社会問題化した少年犯罪だが、実は非行少年の事件傾向は通説とは逆に減少し、高年齢化している。
従来の社会において、非行少年は20歳前後になると誰かしらの世話で何らかの職に就き、社会に順応していくルートが存在していた。しかし、昨今の長引く不況、産業構造の変化によって、ブルーカラーの求人が激減している。そのため、いつまでも大人になれない不良少年が年少者とつるみ犯罪を犯すケースが増えているという。
我々の情報源は、マスコミによる報道に多くを負っている。
「社会が蝕まれている」という危機感は、マスメディアの報道によって増幅され、市民に浸透していく。マスコミ報道によって“作られた”モラル・パニックは、市民運動家、行政・政治家、専門家の参加によって、一過性のパニックとして終わらずに、新たな社会問題として制度に組み込まれ、恒久的な社会問題に進展する。これを「鉄の四重奏」と呼ぶ。
パニックに呑み込まれ続ければ、情報の檻の中で、有りもしない“犯罪者”の影に怯え続ける毎日を送ることになる。
おそらく我々に必要なのは現実を直視して、問題点を拾い上げ、正しい対策を議論することなのだろう。その前提として、氾濫する情報を選別する冷静さを保つことこそが必要だ。